住まい選びのポイント 〜住環境&建物環境〜
【第1回】住環境とは?
日本住環境評価センターのおもな仕事は、住環境の調査と分析です。
同じ住環境に生活する人がまったく同じ人間になるわけではありませんが、「居は気を変える」「転地療法」などの考え方もあるように、環境が人の心身にある程度の影響を与えることは、確かなようです。
ではその「住環境」というのはいったい何のことで、また21世紀に生活する私たちにとって特に重要なことは何なのでしょう。
●「住環境」って何?
「住環境」と一口に言っても、その物差しは一つではありません。
最優先することだけを考えたら、安全でさえあればいい、便利でさえあればいい、というようなことになるかもしれません。
しかし、安全でなおかつ便利ならそれに越したことはないわけで、安全性が同じくらいの地域がいくつかあったら、その中で比較的便利なところを選びたいでしょう。
そこで、さらに「便利でも静かでなきゃ嫌だ」「騒音は我慢するけど排気ガスは困る」といったような好みが、贅沢できる度合いによって、いろいろと出てきます。
これらの細かい好みを大きく分けると、「安全性」「保健性」「利便性」「快適性」の4種類にまとめることができます。さらに1980年代以降は「持続可能性(sustainability)」というテーマ� ��あらわれました。何やらややこしい、小難しいことのようですが、要するに「安全で快適で便利で、しかもそれが長続きするといいな」ということが基本になっています。
ここへ、より人間的なテーマとして、美観性(街並み景観など)、経済性(居住費など)、社会性(地域の慣習など)を加えることもできます。
「住環境」というのは、だいたいこういったことです。
●そんなに単純じゃない
疎水性ショックドクター
防犯や交通安全などの日常的な「安全」と、水害や地震などに対する「安全」は、ぜんぜん別のものです(犯罪が少ないところは地震も少ない……などと考える人はいませんね)。
さらに、同じ自然災害に対する「安全」も、決して一つではありません。
台風がめったに来ないから「安全」というのと、台風が来ても被害がひどくならないように対策を練ってあるから「安全」というのでは、同じ安全でも質が違います。
しかも、一度ある危険に遭った地域は、同じ危険に対して強くなる場合があります。
一例として、大地震のあとは地盤の歪みエネルギーが解放されるため、むしろ地震が起こりにくくなったりします。犯罪にも、似たような現象があるでしょう。
つまり、過去10年の浸水被害の履歴だけを見ていては、その地域の浸水に対する安全性はわからないのです。1990年から98年にかけて水害がひどくても、99年に効果的な対策がおこなわれていれば、それ以降はむしろ隣の地域よりも安全性が高まっている可能性があります。
安全な住環境で暮らしたい、と思ったら、こうした複雑なことを考えていかなければならないのです。
●健康も複雑
ベースコートクリアコートを塗りつぶす方法
たとえば、日当たりや風通しの良さを、戸数の密度から推し量ろうとするのは、間違ってはいません。
しかし、どれほど家屋が密集していても、市街地設計の工夫によっては、日当たりも風通しも確保できてしまう場合があります。逆に、地図上ではゆったりして見える地域が、考えられないくらい息苦しい場合もあります。
もっとも、日当たりや風通しなら、現場に行けばすぐにわかります(それが何年も続くことかどうかは別の話として)。
では、土壌汚染は? 電磁波は? 細菌、ウイルス、ホルムアルデヒドは?
現地で体感できないとしても、計測すれば、それぞれの指標についてハッキリした答えが出るでしょう。
ただし、計測したことしかわからないのが、目に見えない保健性を考えるときに頭の痛いところです。
犯罪や災害なら、そのカテゴリの中である程度のつながりを連想することができます。割窓理論のように、軽罪が多ければ重罪も増えるだろう、といった連想が可能です。
ところが、電磁波がないことがわかったところで、ホルムアルデヒドについてはまったく連想することができません。電磁波やホルムアルデヒドがなくても、ダニが異常に多いかもしれない。つまり、それぞれの物質が、あまりにも個別的なのです。 このように、保健性については、全般的な評価がたいへん困難です。
●「便利」はカンタン?
どのように水力発電源は、エネルギーを作成するために使用することができますか?
利便性について考えるのは、保健性よりは簡単です。
駅や店舗が近くて大規模でサービス的にも充実していれば、それはもう便利であることに間違いがなく、人が集まることで犯罪や騒音が増えるというのはまた別の問題だからです。
強いて言えば、サービスの充実度を測る指標が曖昧だということもありますが……たとえば「近所に8スクリーンを揃えたシネマコンプレックスがあっても単館上映作品を観られないから不便だ」といったような話になると、それは住環境というよりは、もはや趣味嗜好の問題になるでしょう。
●住みよいまち
誰かに「いま住んでいる町はあなたにとって快適ですか?」と尋ねたら、わりとすんなり答えてもらえるでしょう。
でも、「この町が快適かどうか調べて報告してくれ」と頼まれたら、その依頼者がどのような人物なのかわからなければ、何をもって「快適」とするのかわかりません。
クールでモダンな街並みが快適だという人もいれば、下町情緒や近所付き合いがないと不快だという人もいます。
結局、この「快適性」については、それだけを独立して語ることはできないようです。
生け垣延長率、という指標から考えようとすると、どうしても、熱環境の改善や、雨水浸透率の増加などが関わってきます。
プライバシーの確保を考えれば、建物の間隔が問題になり、日当たりや風通しの良さとつながります。
こうした、安全・保健・利便などに関わる指標を無理に避けようとすると、きわめて狭い個人の好みを町全体に強要することになってしまいます。
当人(たとえば少数のお金持ち)は良かれと思っておこなった景観づくりが、結果としてその他大勢の人々の安全・保健・利便を脅かすということも、充分にあり得るわけです。
●いつまで住むか
マイホームを購入して、向こう何十年もそこに住む予定があれば、リサイクル活動の徹底や環境税の支払いなども、喜んでおこなうことができるかもしれません。
これまで見てきた安全・保健・利便・快適などについては、そのまま「高ければ高いほどいい」と言えたのですが、この「持続可能性」に限っては、「高いほど現在の負担は大きい」というケースが出てきます。
逆に考えると、どれほど安全で健康で便利で快適であっても、持続可能性が極端に低ければ、5年後にはポジティヴな要素がぜんぶ消えてなくなっているということもあり得るのです。
持続可能性は、そこにいつまで住むのかによって、プラスにもマイナスにもなる指標です。
* * 安全性、保健性、利便性、快適性、持続可能性……それぞれがさらに細かく枝分かれした、いくつもの要素から、一つの「住環境」は成り立っています。
気にしなくてはならないことがあまりにも多すぎて、とても一つの住環境を選ぶことなどできないと感じるかもしれません。
でも私たちは例外なく、どこかには住まわなくてはなりません。
重要なのは、複雑なものを単純化することではなく、まずは自分自身の個別的なニーズ(保育施設の近さでも教育環境の良さでも何でも)をしっかりと見極め、その上でデータやノウハウの蓄積がある機関をうまく活用し、予算の範囲内で最善の住環境を選ぶことでしょう。
■参考文献
『住環境 評価方法と理論』浅見泰司編(東京大学出版会)
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